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2014年6月

2014年6月29日 (日)

昔の風シリーズ・・・文豪の足あと・東新宿から曙橋へ(2)

  抜け弁天から南側の通り(余丁町通り) を南下して靖国通り方向へ向かいます。ちょうど抜け弁天社が上り坂の上になった様にここからはなだらかな下り道となりました。

1.
  余丁町通りを都心に向かって少し進むと、右手の車道側に「坪内逍遥旧居跡」の解説板が立っています。付近を見回してもこれ以外のものはありません。406a201_2
2.
  解説版には古びたモノ写真がありましたが、写真からみるとかなり大きな立派な住居であったようです。406a202
3.
  さらに200mほど進むと、左手のビルの脇に今度は「永井荷風旧居跡」の解説板があります。406a203
4.
  ほんの眼と鼻の先に文豪が二人も居住していたわけで、殆んど同じ年代であったというのも何か因縁を感じます。406a204
5.
  荷風居住跡から少し戻り、道路を横断して住宅街の細い通りをくねくねと曲がりながら坂を下りて靖国通りへと出ると右手に古い建物が見えますが、ここが「成女学園」の校舎です。
  ここは、靖国通りに面した旧正門ですが、この右奥に「小泉八雲」の旧居跡があったのです。406a207
6.
  今は何もありませんが、成女学園の日本風庭園になっていて、ちょうど突き当たり付近に石碑が建っています。406a206
7.
  校庭内ですし、簡単には見えませんが、学校のご厚意で中へ入れさせていただきました。406a205
8.
  靖国通りを隔てた反対側に位置する住宅街に「三島由紀夫」の生誕地があった、といわれていますが、何の表示もありません。ここは三島の自伝的小説“仮面の告白”の作品中に生家の説明があり、そこから導き出されたものだそうです。406a208
9.
  靖国通りを曙橋方向へ進み富久町交差点を過ぎたところの右手に「暗坂(くらやみざか)」があります。東京にはいくつかの暗闇坂がありますが、荷風の随筆“日和下駄”に出てくる坂がこの坂です。406a209
10.
  もう目の前がゴールの曙橋です。
  こうしてまわってみると文豪の足あととして残るものは解説版というのが決まりのようで何か大切なものを忘れたような一抹の寂しさを感じるばかりです。406a210
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2014年6月27日 (金)

昔の風シリーズ・・・文豪の足あと・東新宿から曙橋へ(1)

   一見、文学とは程遠いと思われる近代的な建物に囲まれた副都心にも、ひっそりと文豪たちの足あとが残されていましました。
  今回は、東京メトロ都営新宿線の「東新宿駅」をスタートして小泉八雲記念公園、大久保小学校裏を一回りして職安通り→抜弁天通り→余丁町通りを経由して靖国通り、「曙橋」というコースで歩いてみました。


1.
  都営地下鉄の東新宿の駅は、日本赤十字社の横に小さく地下へ通じる階段があります。406a101
2.
  駅出入り口の横を大久保方向へ進むと大久保小学校の正門前にギリシャ風のアーチが現れます。ここが、小泉八雲記念公園の入口です。406a102
3.
  公園の中には関連モニュメントなどがおかれています。406a104
4.
  八雲は十六歳のときに失明した左目を嫌がり、右横顔の写真ばかりを残していますが、花壇の中にある胸像は顔全体を現した珍しいものなんだそうです。406a103
5.
  小学校の正門のならびの植え込みの中に「小泉八雲終焉の地」の石碑があります。
  八雲は四十歳で来日し、五十四歳で病死していますが、ここに居住して終焉を迎えたのでした。406a105
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8.
  小学校を過ぎ、職安通りへ出たら通りを渡って左折し、新宿七丁目交差点方向へ向かうと、歩道横の植え込みの中にぽつんと石碑が建っています。
  島崎藤村の住居が有った場所です。406a108
9.406a109
10.
  新宿七丁目の交差点を過ぎ、抜弁天通りのなだらかな坂を上りきると、道が三叉路になりますが、その三角点に「抜弁天こと巌嶋神社」があります。
  神社は思いのほか小さいのですが、通りの名前になるほどの古い歴史があるのでしょう。406a110
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  本殿脇の小さな池には鯉が泳ぎ、手水場では涼しげに龍が口から聖水を吐出しています。406a111
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  小さいながらも良く手入れの行き届いた清々しい雰囲気は、まさに夏の都心のオアシスといった風情です。406a112
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2014年6月22日 (日)

昔の風シリーズ・・・撮り歩き・赤羽根橋から六本木(3)

  仙台坂を道なりに進んでゆくと左手に「麻布野球場」があり、少年たちの元気な声が聞こえてきました。

1.
  小学生たちの下校時間のようで、黄色い帽子の児童たちの姿が見られました。なぜプロペラなのかは解かりませんが、形の面白いモニュメントがありました。405d301
2.
  野球場を右手に見ながらグラウンド沿いの道を行くと、有栖川宮記念公園の西側にある門に出ます。405d304
3.
    公園に入ると濃い緑に囲まれた大きな敷地の中に清水が流れ、池があります。池の周りにはちらほらと釣り人の姿などが見られ、深い自然に包まれて心地よい感じで一杯でした。405d303
4.
  兼六園をまねたのか“ことじとうろう”もどきなども見られます。405d302
5.
  公園を出て、公園北側の道を800mほど六本木方向へ向かったところの右手に「一向山専称寺」があります。
  ひっそりとした小さな寺ですが、ここには幕末にその名をとどろかせた沖田総司が眠っています。405d305
6.
  残念なことに一般には公開していないので、本堂右側の塀に沿って路地を行くと塀の中に墓地が見えますが、木製の小屋根が付けられた墓石が沖田総司の墓で、塀越しにのみ見ることができます。405d306
7.
  専称寺を出てそのまま六本木方向へ進み、六本木通りを右折して麻布警察署の前を過ぎて直ぐ右の路地へ入り、道なりに行くと「六本木駅前郵便局」があります。
  その隣にあるのが、朝日神社です。405d307
8.
  ある時、織田信長ゆかりの朝日姫が草むらでみつけた稲荷の神像をここに祀ったことから朝日神社となったといわれています。
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9.
  一説によれば、テレビ朝日もここから名前をとったとのことです。405d308
10.
  朝日神社の前にある坂を「芋洗坂」といいますが、昔、この付近には芋を商う店がたくさんあったそうで、流れていた小川で芋が洗われていたことからこの名が残ったんだそうです。405d310
END

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2014年6月15日 (日)

昔の風シリーズ・・・撮り歩き・赤羽根橋から六本木(2)

  続きです。二の橋を渡り、二の橋交差点を直進し仙台坂方向へ向かいます。
  麻布山入口の交差点を右折すると直ぐ左側に参道があります。

1.
  このあたりには、松平陸奥守や伊達藩の下屋敷があったことからこの名前が付いたといわれています。405d209_2
2.
  麻布山善福寺山門脇には、柳の井戸と書かれた説明板がありますが、古いもので書体も消えかかり、ようやく読める状態のものでした。405d201
3.
  これがその井戸で、今でも水が湧き出しているようでした。405d202
4.
  
立派な山門があり、弘法大師が真言宗を広めるために建てられたもので、その歴史は雷門で知られる浅草寺についで二番目に古いそうです。405d203
5.
  
本堂も立派です。この麻布山の寺名から麻布という地名がうまれたとも言われています。405d205
6.
  
鐘楼も古さを感じます。写真では見にくいのですが右下には「越路吹雪」の記念碑が建っています。405d206
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  安政六年(1859)にはアメリカ合衆国公使館が置かれ、総領事であるタウンゼント・はリスらがここで過ごしたのだそうです。405d204
8.
  また、見所はなんといっても推定樹齢750年以上という天然記念物に指定されている大銀杏でしょう。405d207
9.
  枝先が下方へ垂れ下がっている姿から、俗に逆さイチョウと呼ばれているそうで、これほどまでにエネルギーに満ち満ちている大木はなかなかお目にかかれないでしょう。405d208_2
10.
  寺の山門の直ぐ横の細い路地を進むと仙台坂の通りへ出るので、そのまま上ってゆくと左手に「韓国大使館」が見えてきます。
  色々と問題も多く制服の警察官が警備に当たっていました。
  ご苦労様です。405d210
つづく

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2014年6月10日 (火)

昔の風シリーズ・・・撮り歩き・赤羽根橋から六本木(1)

  入梅前の五月某日、日本の有様が大きく変わろうとしていた幕末期にゆかりが深く、昔の面影が点在している麻布一帯を気分に任せ、撮り歩いてみました。


1.
  スタートは、都営地下鉄大江戸線の赤羽根橋駅。405d101
2.
  駅の地上口を出ると目の前にある首都高の下に、古川にかかる中之橋があります。この橋を渡ると付近は、攘夷派により、初代アメリカ総領事のタウンゼント・ハリスの通訳として働いていたヘンリー・ヒュースケンが襲われ殺害された場所です。405d111
3.
  中之橋交差点を真っ直ぐに西方へ向かうと左側に「天祖神社」があります。
この神社は、一条天皇の勅命によって創建されたのですが、徳川幕府によってご神体を芝大神宮に移すよう命ぜられました。しかし、これに反対する氏子や崇敬者たちが隠し留めたというエピソードがあるそうです。
  道路からいきなり石段となり、参道は狭いのですが、右側には「天祖神社」の立派な石柱が建っています。405d105_2
4.
  本殿の名額には「神明宮」とありますが、これがエピソードにある元の神社の名前でした。405d106
5.
  この神社はコンクリートの建物の中に木造の社殿が入っているという珍しい造りになっています。405d107
6.
   社殿の入っている建物は、裏側から見るとこのような造りになっています。405d103
7.
  神社の前はなだらかな坂となっていて「神明坂」の名があり、この坂を上ってゆくと右側に「志ほあみ地蔵尊」というお地蔵さんが鎮座しています。405d104_2
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  近隣の信仰を集め、子育て地蔵尊として崇められていますが由来についてははっきりしないとのことでした。405d108
9.
  地蔵堂のある交差点を右折して、二の橋方向へ向かうと日向坂へ出ます。
坂の途中にはオーストラリア大使館があり、静かな住宅街です。
  江戸時代、南側に徳山藩毛利日向守(ひゅうがのかみ)の屋敷があったことからこの名が残ったそうです。謂れは判りませんが袖振坂ともいわれているそうです。405d109
10.
  この「二の橋」を渡ると都内有数の一等地、麻布へと入ります。405d110
つづく

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2014年6月 5日 (木)

昔の風シリーズ・・・文豪の足あと・人形町から日本橋へ(2)

 つづきです。
  目的地の日本橋に近づくにつれて、外苑外堀通りに“橋”の多いのには新しい発見として驚かされました。また、それぞれの橋にはそれぞれのいわくがあり面白く感じ、そのうち、じっくりと訪ね歩くのも楽しいことかもしれません。


1.
  前回の銀杏八幡宮から直ぐ西側のところに日本橋兜町と日本橋小網町を結ぶ「鎧橋」があります。この橋は江戸の昔に「鎧の渡し」という渡し場があった所に架けられていて、この橋のたもとには東京証券取引所があります。405b201
2.
  この橋も一見文学にはかかわりがなさそうですが、ここ兜町は、「鬼平犯科帳」などの時代小説で知られる池波正太郎が青年時代を過ごした場所なんです。405b202
3.
  そのまま茅場町交差点まで進み、永代通りを左折するとみずほ銀行のATMコーナーの角に小さな石碑があり、「其角居住跡」とあります。405b203
4.
  ここは松尾芭蕉の蕉門十哲といわれた弟子の一人、宝井其角の住居があった場所です。405b204
5.
  其角居住跡から茅場町交差点へ戻り、永代通りを日本橋方向へ進むと「千代田橋」があります。今は埋め立てられて下に川はありませんが、当時の姿を残しています。この橋の名前から今の千代田区という名前もできたとか・・・405b205
6.
  永代通りを西方向にさらに進むとコレド日本橋ビルの横手を入ったところの歩道の脇に「漱石名作の舞台」と記された石碑があります。この場所は「三四郎」や「こころ」の作品の中で、登場人物がたびたび訪れている白木屋百貨店があった場所です。405b206
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8.
  そのまま、日本橋方向へ進み三越前の和雑貨や鰹節などの老舗店が並ぶむろまち小路へ向かいます。405b211
9.
  数十メートル先の左側、佃煮店の入口脇に「発句也松尾桃青宿の春」と彫られた立派な石碑があります。芭蕉が伊賀国上野(三重県)から江戸へ出てきて初めて身を寄せたのがこの地であったそうです。405b212
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11.
  むろまち小路を戻って中央通を北方に進むと右手の大きなビルの陰に「夜半亭」との解説板があります。ここは、与謝野蕪村の居住跡なんですが、何もなく、この解説板が寂しく立てられているだけでした。405b214
12.
  さて、最終目的地の「日本橋」へ到着しましたが、何処から見ても首都高の下になっていて、欄干には獅子や麒麟のブロンズ像が並び、日本一有名な橋なんですが、なんとも残念な風情です。405b208
13.
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14.
  わずかに橋のたもとに残っている「日本橋魚市場発祥の地」のスペースが救いになっているということでしょうか!405b209
END

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2014年6月 1日 (日)

昔の風シリーズ・・・文豪の足あと・人形町から日本橋へ(1)

 今回は、地下鉄人形町駅からスタートして日本の基点である日本橋までを文豪の足あとを訪ねて、歴史の香りをつなぎながら懐古の心情に浸ってみました。

1.
  人形町の駅を日差しのまぶしい通りへ出ると、懐かしい昔の造りの建物が目に飛び込んできます。405b106_2
2.
  駅の出口のすぐ傍にあるドラッグストア前に「玄冶店跡」と書かれた解説版があり、この地名が有名になったのは、歌舞伎の名作「与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)」の舞台となったためだそうです。405b101_2
3.
  われわれが直ぐに思い出すのは、切られ与三郎とお富の恋物語で「死んだはずだよ・・・」のフレーズが印象的な「春日八郎」の歌ですよね!
   解説板に並んでりっばな石碑も建っていました。405b102_2
4.
  人形町通りには、道路を挟んで東と西にカラクリ時計塔がそれぞれ設置されています。405b103_2
5.
  時間が来るとそれぞれの違ったカラクリ人形が踊ります。405b105
6.
  歴史の古い甘酒横丁へ入ってみると時代を錯覚するような木造の建物が軒を並べていて、昔の風をゆるゆると感じることが出来ます。405b107
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11.
  甘酒横丁交差点へ戻り、道路を横断して路地へ入ると、右手のビルの一階に「痴人の愛」「細雪」などの作品で知られる「谷崎潤一郎生誕の地」と書かれたプレートが見えてきます。405b104
12.
  甘酒横丁交差点へ戻り、新大橋通りへ向かうと、本来ならば「水天宮」が見えてくるのですが、現在、全面改築のため基礎工事が行なわれています。
  広い新大橋通りを水天宮交差点を背にぐんぐん進むと右手に銀杏八幡宮があります。ここも規模は小さいけれど地元の人たちには大切にされている氏神様です。405b112
13.
  狭い境内にはガラスケースに収められた五月人形などが奉納されていました。405b113
続く

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