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2014年4月

2014年4月30日 (水)

昔の風シリーズ・・・文豪の足あと・文京区春日から本郷へ(2)

 今回は、多くの文人たちが青春時代を過ごした下宿屋の跡やその周辺に昔の風を感じながら東京離れした別世界を訪ねてみました。

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 1897年にこの場所で創業された下宿「菊富士楼」は、大正時代に洋風ホテルとなり、終戦とともにその歴史を終えました。
 その約50年の間に、宇野千代夫妻や谷崎潤一郎、直木三十五など多くの文人や思想家たちが滞在しました。
 今は「本郷菊富士ホテルの跡」と彫られた石碑が立っています。
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 菊富士ホテル跡から北方約100mのところに[赤心館跡」と書かれた解説板が立っています。もちろん当時の建物はありませんが、石川啄木が上京したときに金田一京助の世話でここに4ヶ月ほど下宿をしていたのだそうです。
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 赤心館跡から南へ200mほど下ったところの石段の脇に「宮沢賢治旧居跡」の解説板が立っていますが、ただそれだけのもので当時を偲ぶよすがはありません。
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 この周辺は何処へ歩いても坂また坂ととても坂の多い地形ですが、その一角に自然主義文学の代表的作家であった「徳田秋声」旧宅があります。
 もちろん、手入れはされているのでしょうが、当時の姿を留めている数少ない史跡でしょう。
 ちなみに、板塀の上に葉を茂らせている業平竹は、同郷の「室生犀星」から贈られたものなんだそうです。
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 徳田秋声旧宅から西方へ200mほど歩くと「蓋平館別荘跡」があり、現在は太栄館という旅館として営業されていますが、赤心館から転居した啄木がここで9ヶ月ほど暮らしたそうです。
 玄関脇には解説板と石碑が残されています。
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 石碑には「東海の小島の磯の白砂に我泣きぬれて蟹とたはむる」の歌が刻まれています。
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 太栄館の横には新坂という勾配の急な坂がありますが、ここは坪内逍遥が良く歩いたところだそうです。
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 この周辺で有名なのが胸突坂という長い急坂ですが、この坂の左右には第二次世界大戦の際に空襲を免れた建物が今も残っていて旅館として営業を続けています。
 歳月を感じさせる黒ずんだ看板や柱には昔の風を感じ、なにやら不思議な心境になります。
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つづく

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2014年4月27日 (日)

昔の風シリーズ・・・文豪の足あと・文京区春日から本郷へ(1)

  今も戦前の面影をそちこちに色濃く残す町、本郷周辺。かって多くの文人たちがこの町に暮らし、貧しい生活の中にも数々の名作を生み出し、日本の文学の重鎮として活動した文人たちの青春の跡を訪ねて見ました。
 当然でしょうけど残念ことに当時の建物などは無くなっている所が殆んどで、味気ない「説明板」だけが立てられている、と言う現状でした。
 それでも何となく当時の風を感じることが出来る雰囲気にカメラを向けてきました。

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スタートは、都営三田線・大江戸線の「春日駅」から。駅の直ぐ右脇の通りへ入ります。
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突き当りまで進むと急な階段があります。それにしても文京地区は都心にもかかわらずやたらと坂が多いのには少しばかり驚かされました。
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階段ばかりでは自動車の通行にも困るのでしょう。ここも結構急な長い坂で「鐙坂(あぶみざか)」と言う説明板がありました。
この坂上に今回の最初の目的地、金田一京助・晴彦親子の旧居跡があります。
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鐙坂上の金田一親子の旧居跡、右下の白い石垣のところに説明板が見えます。
文学も言語があって成り立つもの、先ずは日本を代表する言語学者の昔に触れてみました。
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金田一家の裏手に当たるところの「炭団坂」、階段でなければ登れないでしょう。この階段を登りきって右手にあるのが「春迺舎(はるのしゃ)」跡。坪内逍遥の居住していたところですが、今は説明板が残るのみです。
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炭団坂を背にしてさらに進むと、この界隈には歴史を感じる立派な旧家が残っています。
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その先にあるのが「文京ふるさと歴史館」、東京大学とは目と鼻の先になりますが、江戸時代の町の様子や暮らしに関する展示、文京区ゆかりの文人を紹介するコーナーもあります。
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ふるさと歴史館の内部。
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つづく

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2014年4月19日 (土)

昔の風シリーズ・・・牛込から飯田橋へ

 都営地下鉄大江戸線の牛込界隈は、江戸時代から、旗本屋敷が多くあったことでも知られていますが、そんな昔に想いを馳せてブラブラと撮り歩きをしてみました。

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 名前からしてそそられる“大江戸線”に乗って、昔を引きずっている牛込柳町駅で地上に出ました。
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 駅から数百メートル南にはすっかり近代化した町並みの中に銀杏坂という名前が残っています。坂というほどの勾配はないんですが、この坂の西側に「旗本久貝因幡守」の屋敷があり、敷地内に立派な銀杏の木が生い茂っていたことからこの名が残っているのだそうです。
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 付近には余り飲食店を見かけませんが、ここは少しばかり変わった造りのお店でした。
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 かってここには「試衛館」と言う剣術道場があり、新撰組局長として名を馳せたかの近藤勇、土方歳三、沖田総司や山南敬助などが腕を磨いたところでした。邸内にあったこのお稲荷さんは彼らが日々手を合わせたものと思われます。
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 さらに南方数百メートルの所に「市谷亀ヶ岡八幡宮」があります。この神社は太田道灌が、江戸城西方の守護のため、鶴岡八幡宮の分霊として城内に勧しょうしたのが始まりと伝えられ、鶴岡に対した亀岡といわれています。
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 ここの鳥居は新宿区内唯一の銅製鳥居です。
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 坂の由来については表示板のとおりですが、寛文年間に宇都宮藩奥平家の内紛に絡む仇討ちが行われたことで有名なうえ、そのやり方が後年の赤穂浪士たちが討ち入りの参考にしたということで更に有名になりました。
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 このお寺には戦国時代にこの一帯を治めていた牛込氏の居城であった牛込城がありました。
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 光照寺を出て粋な雰囲気の神楽坂を東に抜けると「筑土八幡神社」があります。千年以上前からこの地の鎮守として祀られてきた趣ある境内には、新宿区内最古の鳥居や寛文四年に作られたと伝えられている彫刻の珍しい庚申塔などが残っています。
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※ 四月の某日、まだまだ日暮れの早い中、飯田橋駅へゴールしたときは宵闇の喉の渇く良い時間となっていました。

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2014年4月 8日 (火)

見納桜花

 天候不順の中、律儀に咲いていた桜の花もいよいよ終わりとなってきました。
日本にあるから桜、桜があるから日本、いずれにしても日本の春は桜で始まるのです。
 “サイタ サイタ サクラガ サイタ・・・ 
   ヒラヒラ ヒラヒラ ハナビラ チッタ・・・”  また来年逢いましょう。

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 Lens NIKKOR 70-200 F2.8G

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2014年4月 3日 (木)

〖Nikon D4s〗実践テスト・・・桜を撮る

※ 東京地方の桜は満開、と言う情報に刺激され桜の花撮影を大義名分として、薄曇の半日を都心の“千鳥ヶ淵”周辺を撮り歩いてみた。
 平日にもかかわらず、さすが都心部の花の名所だけのことはあって大変な人出で、大勢のカメラマンの姿もあった。
 もちろん今回もJPEG一本勝負で、淡い色の桜花がどの程度表現できるか、無限に近い量の細かい花形が読み取れるか、他の色との兼ね合いやバランスはどうかなどを見極めたくての撮影であった。
 例によって「作画」や「構図」は二の次となっている。

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 Nikon D4s / Nikkor Lenses

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