ゆるゆると昔の風が吹いていた・・・千代田区神田神保町(1)
| 固定リンク
| コメント (6)
| トラックバック (0)
JR御茶ノ水駅の南方、神田駅との中間に狭い範囲では有りますが、神田淡路町はあります。
街全体が駅に近く、本郷通り・外堀通り・靖国通り(千葉街道)に接しているところから交通の便も大変良いため、土地開発が進み、高層ビルが林立しさらに新規工事も行われるなど、街の景観はすっかり破壊されてしまっていますが、その街のほぼ中心部にポッカリと穴が開いたように“昔の風”が吹いている地域があります。
そこには、歴史ある建物が数棟、肩を寄せ合うように集まっていますが、中には古くから多くの文人たちが足繁く通った老舗もあり、見応えのある街並みが有りました。
残念なことに『夏目漱石』が好んで通ったという「松栄亭」や近江屋洋菓子店は現代風の建物に建て直されてしまっていて魅力はなくなってしまいましたが、まだまだ残したい建物はたくさんありました。
これから3回にわたって連載UPしますが、決してお店の宣伝では有りませんので、歴史の息遣いを感じていただければ幸いです。
(なお、今回に限らず、本ブロクに搭載されている写真は、画像をクリックしていただくと拡大しますが、さらに拡大したその画像をクリックしていただくと大画面で見ることが出来ます。是非、大画面でご覧下さい。)
1.
2.
3.
4.
5.
6.
7.
| 固定リンク
| コメント (6)
| トラックバック (0)
戦後の混乱期に上京してくる人が多い「上野駅」が近いというところから、自然発生的に闇市が出来ました。
砂糖が買えない時代だったことから、サツマイモで飴をつくった業者が商売をはじめ、これが飛ぶように売れたので、色々な種類の飴を売る店が集まったことから「アメヤ横丁」と呼ばれるようになったそうです。
また、朝鮮戦争の頃、米兵たちが小遣い稼ぎに物の無かった日本にさまざまな物資を持ち込んで売り、アメリカ軍物資が大量に出回って、『アメリカ横丁』とも呼ばれたこともあり、『アメヤ横丁』と『アメリカ横町』が混ざって『アメ横』となった、といわれているそうです。
今は何でもあり、日本一有名な市場となっていますが、特に食料品の安売りが目立ち時期を問わず賑わっています。
しかし、アメ横商店街連合会事務所の方や各お店の方々に話を聞くと、最近はやはり景気の低迷を反映してあまり景気は良くない、と嘆いていました。
そんなアメ横を気の向くままに、お店の店員さん方と世間話をしながら、のんびりと撮り歩きをしてみました。
1.
2.
3.
4.
5.
6.
7.
| 固定リンク
| コメント (6)
| トラックバック (0)
吉原といえば、いわずと知れた花柳界、江戸時代にはその繁栄を誇り、「大門」をくぐれば独特の世界が展開していた、と今でも語り継がれ、さまざまな時代劇にも登場する有名な場所であることは皆さんご存知でしょう。
今でこそ、それらしきおたな(店)は有りませんが、特殊な造りとして知られている“鉄漿溝=おはぐろどぶ”と呼ばれる掘割が通路の真ん中を通っていた名残と思われるものがありました。
掘割の上は鉄のふたやコンクリートで覆われていて内部を覗く術もありませんが、さぞかし女性の恨みや運命に翻弄されたつらみいっぱいの黒い水が流れていたのでしょう。
しかし、明らかにその跡と思われる所には、特殊浴場と呼ばれる形態のお店が何軒も昼間から営業していました。
1.
2.
3.
4.
5.
6.
7.
8.
| 固定リンク
| コメント (4)
| トラックバック (0)
最近のコメント