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2007年8月 7日 (火)

JAL123応答せよ!・・・嗚呼、痛恨・・御巣鷹山に消ゆ!!(総括)

 まもなく、事故事件発生日の8月12日がまいります。
 本件につきましては、多くの方々の御来訪を頂きまことに有難う御座いました。
 初期の目的である、事件の風化防止の一助にはなったものと確信致しております。
 今回、5回にわたり連載いたしました写真登載につきましては、さらに閲覧し易い様にするため、総括的に総集編として登載写真の順序に従い編集し直しました。より多くの方々に御見分頂き、その意図するところをお汲み取り頂ければ幸甚に思います。

※ 使用機材
   Nikon  F3-P   ・   Nikon  F3-T
       Ai  Zoom Nikkor  35-70   F 3.5    etc
       KODAK    CP 100  -  5094

  本稿ならびに(1)~(5)登載の全写真は画面をクリックすると拡大します。

※ 全写真および記事の無断使用、転載、複製を禁止します。

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P05343

P05344

P05342

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コメント

こんにちは。
私は事故当時、海外駐在中でした。当時は衛星放送もなく日本から送られてくる新聞や雑誌で事件のあらまし知ったのですが、今さらながら酷い事故だとあらためて思いました。
そういう意味でも当時の写真を見せていただいてよかったと思ってます。

以前の写真を見返してみると、かなり足場の悪いところから撮影されていたのですね。道なき道を登って撮影ポイントを探されたご苦労がしみじと解ります。

もうすぐ命日ですね。二度とこういう事故が起こらないことを祈ってます。

投稿: 瑠璃 | 2007年8月 7日 (火) 13時51分

瑠璃さん。
当時は無我夢中で体力だけの勝負でした。
もちろん車などは使えませんし、物資や機体片の搬出入には仮設のワイヤーを張ってゴンドラを使っている始末です。
現場へ入る規制も厳しく、報道機関関係はシャットアウトされ、こういう記録写真は他には無い筈です。規制の掛かる前に撮影された現場写真は有るようですが・・・

投稿: イソップ | 2007年8月 7日 (火) 14時14分

イソップさんの記録写真は、貴重なものなのですね。
こうして公開して下さることで一人でも多くの方が事件を風化させずに思い出してくれることでしょう。
総括までして、きちんと最後まで見てくださいという姿勢をお持ちのイソップさんを尊敬します。ありがとうございました。

投稿: ははだよ | 2007年8月 7日 (火) 20時18分

ははだよさん。
本当はもっと早く公開したかったのですが、色々事情がありまして今般の日になってしまいました。それも、ごく一部に留めました。
やはり、見る方の身になれば順番は大切な条件でしょうから、再度編集の上、少しでも見やすくと思い、総括をして見ました。何度も御来訪頂き有難う御座いました。感謝いたしております。
お盆も近いことですから、しばらくはこのままで行きたいと思っております。

投稿: イソップ | 2007年8月 7日 (火) 21時07分

大事故が風化される前に、なんとかもっと一般の方にも見ていただきたいですね。
順番を直しておく、なるほど~これから来られる方にも見やすくなりましたね!
一番心配なのは、心無い書き込みです。
ネットをやっていると、信じられないようなことをするひとが居るものですから。
(私はお料理のコミュニティに入っているのですが、掲示板がそういう人たちに襲われて管理者さんは大変でした)
イソップさんの心遣いが、ちゃんとした形で広まりますように・・・・

投稿: きょんち | 2007年8月 8日 (水) 19時10分

きょんちさん。
有難う御座います。少しでも社会のお役に立てばと思っております。
お陰様で御訪問は大変大勢の方々からありますが、今の所、そういう不埒者や心無い者の書き込みはありません。
犠牲となられた方々の天国からの応援の賜物と感謝いたしております。陰からのお力添えを頂き、本当に感謝いたしております。

投稿: イソップ | 2007年8月 8日 (水) 20時48分

初めまして。
私は事故があった1985年は、まだ小学校2年生でした。
事故の前日に一人で飛行機に乗り祖父の家に向かい翌日のニュース
を見て凄い衝撃を受けたのを覚えています。
安全、落ちないといわれていたジャンボ機があんな無残な姿になり
二度とおきてはならない事故です。
今回こちらの写真を拝見して改めて事故の大きさを再確認致しました。ありがとうございました。

投稿: キコ | 2008年7月 9日 (水) 09時59分

キコさん
初めまして。
ご訪問を有難う御座いました。私も現場を取材していまして、本当に残念でたまりませんでした。カメラのファインダーが何度も何度も涙で見えなくなったことが昨日のように思い出されます。
絶対安全といわれていた飛行機が、それを信じて搭乗していた方々の悔しさは如何ばかりかと思うと心の張り裂ける思いでした。
写真は、余り支障の無い物だけをUPしておりますが、ほんの一部に過ぎません。
すでに23年という月日が経ってしまいましたが、今後も絶対に起きてはならない事故です。
少しでも参考になれば幸甚です。今後とも宜しく、つたないブログですが、たまあにはお遊びに来てください。

投稿: イソップ | 2008年7月 9日 (水) 10時13分

123便に関する本も沢山読んだのですが、エンジンの近くの座席
に座っていた方というのはご遺体が分離遺体になっていて損傷が激しかったそうです。その為、赤十字の看護婦さんは上手に縫合し人間の
身体に近づけたそうです。高浜機長は前歯が三本しか見つからなかったという事です。写真を載せられているのも、支障のないもので
一部というのも良く分かります。
カメラのファインダーが何度も何度も涙で見えなくなって・・・
とは現場にいた人の生の声ですよね。

本当に凄い事故だったんですよね・・・。

投稿: キコ | 2008年7月 9日 (水) 10時42分

 キコさん
いろいろ言い方はあると思いますが、筆舌に尽くしがたい、というのはこのことを云うんだ、とつくづく思いました。
この事件に関しては、多数の本も書かれていますし、映画にもなっていますが、本当のところは誰も分かりません。
ただ、残されたボイスレコーダーから乗務員が一丸となって故障に立ち向かって乗客乗員の安全の確保のために懸命の努力をしていたことだけははっきりしています。
ご遺体は、八割方が殆どばらばらといっても良く、人定をする人達はさぞ苦労があったことでしょう。

話は変わりますが、もし、キコさんもブログを開設していられるならURLを送ってください。ご訪問したいと思いますので・・・
宜しくお願い致します。

投稿: イソップ | 2008年7月 9日 (水) 12時27分

私もイソップさんと同じ考えです。墜落する寸前まで
乗客を誘導した、機長をはじめ客室乗務員は懸命の努力だったでしょう。彼らだって本当は怖かったのに・・・と思うと目頭が熱くなります。
残念ながら私はイソップさんのような立派なブログは開設してないんですよ。今後開設するような事があればお知らせ致しますね。

お花の写真も素晴らしいですね。

投稿: キコ | 2008年7月 9日 (水) 12時54分

 キコさん
それは残念
私とてまだ開設2年の駆出し者です。是非開設なさってください。
ある程度セイブしながら楽しめば、また違った世界が見えてきますよ。お待ちしております。

人間の価値というものは、最後の最後に決まるものなんでしょうね。

投稿: イソップ | 2008年7月 9日 (水) 13時05分

技術評論社書籍編集部の渡辺と申します、突然のご連絡で失礼します。
主に理工系の書籍を作成しております出版社の者です。
Web:http://gihyo.jp/book

このたび発行する書籍におきまして、可能でしたらこちらのページ(2007年8月7日)に掲載されている画像の一部を転載させていただけないかと思い、ご連絡差し上げた次第でございます。

書籍の内容など、詳細をお伝えいたしますので、よろしければ私のアドレス宛にご連絡いただけませんでしょうか?

お手数をおかけしますが、何卒ご検討よろしくお願いいたします。

投稿: 渡辺 | 2009年9月25日 (金) 17時33分

 渡辺さん
ご訪問をありがとうございます。
詳細はメールにてご連絡下さい。

投稿: イソップ | 2009年9月25日 (金) 21時43分

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