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2007年8月 6日 (月)

JAL123応答せよ!・・・嗚呼、痛恨・・御巣鷹山に消ゆ!!(4)

◎ 概要は(1)をご覧下さい。

13)
P03320
 問題の機体後部圧力隔壁付近の検証。
 中央左側、黄色腕章をしている人たちは航空機事故調査委員

14)
P03322
 後部圧力隔壁の検証。
 画面左側の四人はロッキード社事故調査委員

15)
P03321
 同上

16)
P03323
 後部圧力隔壁の検証。
 航空機事故調査委員とロッキード社事故調査委員、警察の三者一体
 となった現場見分の状況

17)
P03325
 後部圧力隔壁の状態を航空機事故調査委員に説明する、
 ロッキード社事故調査委員

18)
P03324
 警察による検証・鑑識活動の状況

19)
P03326
 航空機事故調査委員とロッキード社事故調査委員の立会いのもとの
 写真撮影の状況

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コメント

こんにちは。
やはり航空機事故となると専門家じゃないと判らないことも多いし、メーカーも責任重大だし、検証は念には念を入れで大変だったでしょうね。暑い時期だけに作業に当たられた方も
かなりの疲労だったでしょう。本当に頭が下がります。

投稿: 瑠璃 | 2007年7月26日 (木) 17時10分

瑠璃さんこんばんは。
モノが物だけにさぞかし大変な作業だったでしょうね。もちろん、現場では結論の出るはずもなく、会社へ持ち帰って精査して初めて事実が見えてくるものだと思いますよ。
いずれにしても、暑い中、大変な事でしたよね。

投稿: イソップ | 2007年7月26日 (木) 17時23分

事故調査の結論がでるまでには相当な時間がかかりますよね。
延べ人数にしたらどのくらいの人たちがこの事故のいろいろなことに関わったのでしょうか。
せめて同じような事故がなくなるのだったら、この哀しい作業も報われるのでしょうけれど。

投稿: ははだよ | 2007年7月26日 (木) 20時52分

ははだよさん、こんばんは。
この事故に携わった人達はどの位になるんでしょうかね。延べ人数にすれば、おそらく万単位の方々が苦労をされたんじゃないでしょうか。
私も若気の至りで写真を撮りまくりましたが、もう、嫌ですね。二度とあってはならないことだと思います。そのためにも、風化させてはならないと思って居ます。同じ悲しみを生まない為に!!

投稿: イソップ | 2007年7月26日 (木) 21時07分

今回は事故調査の部ですね。
ということはイソップさんは相当な時間この事故現場におられたのですね。
あの日は暑い暑い夏の日でした。いくら高い山の上とはいえ、大変だったことでしょう・・・
本当にそのときは無我夢中で撮っておられたのでは?
イソップさんにとってぜったいに人生の転機であり、忘れられぬ数日間だったことでしょうね。

投稿: きょんち | 2007年7月27日 (金) 10時51分

きょんちさん、こんにちは。
若いということはいいもんです。三日位寝なくても、ほんの少しの仮眠で大丈夫なんです。
今はもうチョット無理かなぁー・・・
写欲のわくもの、使命感に燃えるものは、体が先に動いてしまうんです。
直射日光は暑かった・・・
何回も登り下りをしました。

投稿: イソップ | 2007年7月27日 (金) 11時29分

はじめまして、日航123便墜落事故の貴重な写真拝見いたしました。
今年はあの悲しい大事故から30年の時が経ち、この大事故のことも知らない世代の人達なども多く見受けられるように感じられるのが、なんともやるせない心持ちです。

一つ気になった事がありますので書かせていただきます。
写真14〜17のキャプションにロッキード社の事故調査員となっていますが、正しくはNTSB(米国家運輸安全委員会)、FAA(米連邦航空局)、ボーイング社によって構成された米国事故調査団になります。

投稿: ナリス | 2015年8月 4日 (火) 02時31分

 ナリスさん
はじめまして。
今回は貴重なる情報をありがとうございました。月日の経つのは早いもので、もう30年を迎えてしまいましたが、今でも、現場の模様は昨日のように思い出されます。
多くの方々が言われなき犠牲者となり苦しまれていることについては影ながら哀悼の意を表しており、その後何回か現場を訪れ頭を垂れてまいりました。

さて、今回のご情報の件ですが、私には、ナリスさんがどの程度の立場におられる方か、本件とどの程度のかかわりを持っていられるかについては知る術を持っておりませんので、情報がどの程度の信憑性があるかについても決めかねているところです。
しかし、私としては、当日現場にいたうえ、関係部署からの現場での発表としての情報しか得られないことからこういう説明になってしまいました。また、調査委員という方々の中に「スカンク・マーク」のワッペンをつけた方が3名いたことも事実でした。
いずれにしても、今から当日の状態を確認する方法もありませんのであしからずご了承下さい。また、ここに掲載している写真は大量に撮影した数のほんの一部ですのでそのこともご了承下さい。

大変貴重な情報を頂きありがとうございました。30年も経過しているのに本件に関心をお持ちになり、コメントを頂けたことに感謝いたします。
今後ともよろしくご指導ご教示下さい。

投稿: イソップ | 2015年8月 4日 (火) 10時31分

ご無沙汰しております。
この記事にコメントしていいかどうかよくわかりませんが、
風化させてはいけない気がしています。
無念の思いで亡くなった方もつらいでしょうが
生存者の方もつらかったでしょう。
今と当時では格段の技術の差があると思いますから
二度とこのような事故がないことを祈りたいです。

投稿: ははだよ | 2015年8月12日 (水) 21時14分

 ははだよさん
こんばんは。
当時の関係者は、皆それぞれ歳をとり、あるいは既に他界された方々もいます。
こんにちに比べれば、まだまだ技術も機能も程度の低いものだったのでしょうが、それでもこのジャンボ機は最先端を行くものでありました。今ならきっともっと適切に事故を防げる手段があったのかもしれませんね。
いずれにしても現場に踏み込み、現場をつぶさに見てきたことが昨日の様に脳裏をかすめます。

このような痛ましい事故は今後絶対にあってはならないことですし、このようにして語り継ぐことが今後の空の安全に寄与できることであれば、と考えています。
いつか、機会があれば、まだまだUPしていない写真も掲載してゆきたいと思っています。
貴重なコメントをありがとうございました。

投稿: イソップ | 2015年8月12日 (水) 22時14分

管理人様、私の不躾なコメントに対して丁寧に御返答いただき有難うございました。
私は遅ればせながらあのボイスレコーダーを聞き乗客・乗員の無念の思いに捉われて、日航123便事故を調べているものです。
関連資料を調べても分からない事が多すぎて、、この悲惨な大事故も時が経てば真実が解明される日が来るのでしょうか?

日航123便墜落事故の再調査を願っています。乱文お許しください。

投稿: ナリス | 2015年10月29日 (木) 18時05分

ナリスさん
こんばんは。再度のコメントをありがとうございます。
ボイスレコーダの内容、機内の状況、クルーの死に物狂いの格闘、いずれをとっても聞くに堪えがたい思いのするものばかりでした。しかし、これはあくまでも機内の状況によるものであり、実際に全体として把握されたものはあるのかと言う疑問もわいて来ますよね。
いずれにしてもあまりにも大きな事態ですので、疑問がたくさんあることも事実です。
ただ、言える事はこれ以上に事実を追跡する資料がない、ということに尽きるのでは無いでしょうか?
世間では一部の人たちが色々と、推測と言うか仮定でものを言っていることを聞きますが、事実に基づかない論理を振り回すのは如何なものでしょうか。
現場に立会い、事実を見分したものが真実に近い評価の出来るものだと思います。

投稿: イソップ | 2015年10月29日 (木) 23時22分

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